
私はこのサイトで不動産投資に関する投稿をしていることもあるのか、自分でYouTubeを見ていると、とにかくこの手の広告がで立て続けに配信されうんざりしている。
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いくら成功事例を強調されても、その周囲には何百倍もの失敗事例とシカバネが存在するのではないだろうか、、、。
一方、これとは真逆の立場で、スキームワンルーム投資(物件購入)による損失発生について、特定の業者を名指しすることはないものの、警鐘を鳴らし続けているのが「不動産Gメン」こと瀧島一統さん。ご自身でチャンネルを運営するだけでなく、こういうメディアにも出演されている。
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瀧島さんは善意で活動されているのは分かるのだが、発言の中で、1つ気になるくだりがある。ご著書でも書いている話だと思うが、
「僕の持論ですけど、誰でもちゃんと不動産投資をすれば純資産で死ぬまでに1億は作れる」という発言(上記動画の19:26あたりから)である。
誰でもちゃんと不動産投資をすれば純資産で死ぬまでに1億は作れる、は本当か?
これは正確に表現すると、「誤った投資先を選ばなければ、(誰でも)資産を築ける」ということを意味しているのだと私は解釈している。
だが、これほど誤解を招き、罪作りな表現もないと思う。
不動産投資で儲けたいと思っている人の数に比べ、損しない物件は極めて希少だ。むしろ、市場には損する物件ばかりがあふれているのが実情だ。
私が好きな株式投資の世界では、「待つのも相場」「休むも相場」という言葉がある。取引に相応しくない時期には無理に売買しないで様子を見よう、時間を味方に付けよう、という意味だ。
もっとも、株式投資なら、売買が動かなくても経済が止まることはない。
しかし不動産投資では、建設した新築物件が売れない、使われないとなったら関係者が大損することになってしまう。なんとしても売らないといけないのだ。それゆえ、ローンを組める人を探し出し、あの手この手で無理な販売活動が行われることになる。
本来、不動産こそ、株以上に購入のタイミングや物件とのご縁が重要なのであって、「今しかない」「他の人に買われる」と言われて焦らされて買うようでは、ゴミをつかまされかねない。そういうリスクのある世界なのだ。
不動産投資の勝利の確率は、「当たりくじ」を引くようなもの
たとえ話になるが、玩具の世界で、一定のお金を払って引く「当たりくじ」というのがあるだろう(書店とか、お祭りの屋台などでもある)。
たとえば1枚1000円のくじがあるとする。1等や2等は、何万円もするゲーム機とか、くじの何倍もの価値のあるものが当たるかもしれないし、逆に末等(1番下の等)は、くじ代金の何分の1かの価値しかない粗品になることが多い。そうじゃないと商売にならないからだ。
不動産投資の物件選びとは、そういう、結果的には損得がはっきりするくじ引きに参加するようなものだと私は考えている。どのくじを引くかは選ばせてくれるが、そのほとんどは投資割れする外れくじであり、儲かる当たりくじ(=物件)は、かなり少なく、選ぶのが(というより出合うのが)難しいということだ。
注意が必要なのは、儲かる物件(当たりくじ)がゼロではないことだ。わずかだが実際にあって、そういう物件をつかみ続ける人は成功者となる。ただ、儲かる物件:儲からない物件の比率を出せば、とにかく前者が少ないはずだ。
この比率を、宝くじに当たる確率(一等は250万分の1とか?)のように、統計的、いや直感的にであってもいいので、たとえば1:99であるとか、誰かに出してほしいものである。それが、どんなに楽観的にみて、仮に1:1であったとしても成功率は50%となってしまう。これが高いか低いかと言えば、丁半博打なわけで、とにかく絶望的な数字だと私は思うのだ。
要するに、不動産投資の世界では、常に少なくない誰かが、儲からない物件をつかまされている、ということである。
で、瀧島さんの発言。
「誰でもちゃんと不動産投資をすれば純資産で死ぬまでに1億は作れる」というフレーズは、少々危ない響きがあるように思う。
どうしてか。
そもそも、ちゃんとした不動産投資をするといえるような優良物件の数が少なすぎる。それをつかめるのはごく一握りの人、という前提で言うと、それを「誰でも」という風に表現するのは、
多くの人に過剰な夢を見させ、投資に前のめりさせる恐れのある表現ではないのか。
誰でも作れる、というと、俺も俺もと投資に殺到し、結果的に騙される人が増えてしまうのではないだろうか。